こちらは信奉者向けの情報サイトです。金光教について知りたい方は「金光教公式サイト」へ金光教公式サイト
メインコンテンツをスキップしてナビゲーションに

神様に心を向け「和賀心」の実践を

「和賀心」、それはおかげのもとです。

今年の春、ある教会へお参りする道中での体験談です。そちらの教会長先生には昨年中大変お世話になっていたため、一日も早くお礼参拝をしたいと願っていました。しかし、私は昨年11月の末、聴神経鞘(しょう)腫(しゅ)摘出手術を受けたため、ふらつきが残り、なかなか参拝がかなわずにいました。年が変わり、体調も徐々に戻り、もう長距離運転も大丈夫と思い、3月下旬のある日、妻の許しを得て教会を出発しました。やっと念願がかない、心躍らせての参拝でした。

ところが、行きの道中、車線変更をした際、斜め前を走るトラックがはね上げた石が、私の車のフロントガラスを直撃しました。「飛び石」事故です。放射線状に10円玉ほどの大きさのヒビが入りました。放置するとヒビが広がるため修理が必要です。「よりによって、なぜ今日こんなことに。明日にしておけば、出る時間が5分違ったら…。何とまんの悪い」。正直、そんな思いがよぎりましたが、すぐに、「いや、これは神様が大難を小難にまつり変えてくださったのだ。『気を付けて行けよ』とのおぼしめしだ」と思い直すことができました。「和賀心」修復完了です。

その後、無事に教会へ参拝することができ、元気な私の姿を見た教会長先生は、大層喜んでくださり、ありがたいお言葉も賜りました。そして、帰る道すがら、お礼参拝がかなった喜びに加え、さらにありがたい気付きがあったことで、幾重にも喜びが湧いてきました。

その気付きとは、まず、「よりによって、何とまんの悪い」というのは大間違いだということです。私にとってこの日は、一途に神様に心を向けた参拝日でした。だからこそ、大難を小難におまつり変えくださり、気を付けるようにと寄り添ってくださっている神様のおぼしめしに思いが至ったのです。他の日だったら、それこそ「まんの悪い」不運な出来事で終わっていたかもしれません。

さらなる喜びは、自らの心持ちを私一人で完結するものではなく、天地の中身として意識したことです。私は、車を走らせながら、神様のお働きが満ちるこの天地に、不足心をもたらすのでなく、和賀心でいられる幸せを思いました。世の中に怒りや不足の心がまん延するのと、和賀心が広がるのとでは、大きな違いが生まれることでしょう。家庭に、職場に、地域に、国に、世界に、和賀心が広がれば広がるほど、平和がもたらされる。逆もまた然りです。一人ひとりの「和賀心」は、御神願成就という大きなおかげのもとでもあると思ったことです。

教務参与 松澤光明

  • URLをコピーしました!
目次