「金光大神は、『此の方は、人が助かることさえできれば、それで結構である。これまでほかからも、道が上に貫くようにしたいと願い出た者が何人もいた』と答えた」
「佐藤(範雄)は、押して、『金光様がおられる間は、仰せのとおりで結構でありますが、お隠れの後、何かお書きになったものがありませんと、世のはやり神と同じように思われます』と願った」
教祖伝『金光大神』に記されているこの出来事が、教団組織化の機運を生み出す大きな契機の一つとなったとされている。
教祖様ご在世中より、布教の公認、すなわち一つの宗教として存在を認めてもらうことは大変難しく、教祖様をはじめ直信らのご苦心は並大抵のものではなかった。やがて教祖様ご帰幽の2年後、明治18(1885)年、本教は神道金光教会を設立し、神道事務局(後の神道本局)に属する教会として布教の公認を得た。しかし、そこでは神道本局の強い影響を受け、教祖様の教えをそのまま説くことができなかったため、一教独立への歩みを進めることとなる。そして明治33年、ついに独立を果たした。
独立後も、例えば奉斎神についても、国家の宗教政策により制約を受け続け、「本教ハ天地金乃神及生神金光大神ヲ奉斎ス」と規定することができたのは、戦後の昭和21(1946)年になってからのことである。
この昭和21年には、さらにもう一つ教団にとって大きな転機となったことがある。それは独立以来、管長制度のもとで教団運営がなされ、「管長」は世襲と定められた時期もあったが、昭和16年に「世襲」は「選挙」となり、昭和21年、「管長」は「教主」に改められた。この教主制が敷かれて、今年で80年を迎える。
去る2月17日、教主選挙が行われ、現教主金光浩道様がご当選になり、教主ご推戴のことが進められ、即日ご承諾を賜った。誠にありがたいことである。
教主金光様は、ラジオ放送「金光教の時間」の年頭放送で信心の大切な点を次のようにお示しくださった。
「一人でも困っている人がいたら手を差し伸べることができるのが、人間だと思います。人を助けることができるのが、人間なのです」
教団組織化の機運が生まれて以来、今日まで求め貫かれてきたものは何であろうか。
いかなる時代状況下にあっても「人が助かる」ことを中心に据え、それを求め続けてきた教団の歩みが厳然としてある。そしてこのことは、これからも決して変わることなく、また変えてはならないものである。
教団独立記念祭並びに教主就任式をお迎えするに当たり、これまでの教団の歩みをあらためて振り返りつつ、教団の組織体制の中で教主としてお立ちくださる教主金光様の御取次をいっそうに頂き、「人が助かる」というご神願成就のお役に立たせていただきたいと願っている。
財務部長 橋本信一