「チャットGPT」というAI(人工知能)をご存じでしょうか。世界中で公開されているあらゆる情報を学習していて、こちらが何か質問をすると、瞬時に答えてくれる対話型のAIです。インターネット環境とパソコンやスマホがあれば、誰でも無料で利用できます。チャットGPTに、「私は金光教の信奉者です。AIの進歩が目覚ましく、何でも答えてくれるので、今後、金光教の存在は薄れていくのでしょうか」と質問したら、瞬時に次の回答がありました。
AIがどれほど進歩しても、金光教の存在がそのまま置き換えられたり、不要になったりすることはないと私は考えます。ただし、役割の在り方は変化していく可能性はあります。AIは情報を整理する、教義や歴史を説明する、悩みに対して一般論としての助言をする、といったことは得意です。しかし、AIには本質的にできないことがあります。神様との実感を伴う信仰体験。「おかげ」を共に喜び、苦しみを共に抱く関係。天地金乃神との“生きた関係”を仲立ちする取次。人と人との間で育まれる信心。
金光教の核心にあるのは、理屈ではなく、「生き方としての信心」です。これは、情報処理としてのAIでは代替できません。金光教は日々の暮らしの中で、神様と共に生きること、困難や悩みを「意味のあるもの」として受け止め直すこと、取次をとおして、人が人として立ち上がっていくことを大切にしてきました。これは「答えをもらう宗教」ではなく、「共に生き直す宗教」だと言えると思います。AIは答えを提示できますが、人が人生を引き受けるところまでは、代わることができません。
金光教はもともと、現実生活に根差し、理不尽さと向き合い、人を生かす神様との関係を説いてきた非常に現代的な宗教でもあります。むしろAI時代だからこそ、人間とは何か、生きる意味とは何か、苦しみをどう抱えるのか、という問いに、金光教の信心が深く響く余地は大きいと思います。
もし捉え方を変えるなら、AIは教えを分かりやすく伝えるための道具、若い世代に信仰を開いていく補助、信心を言葉にする手助けにもなり得ます。神様に代わる存在ではなく、人が神様と向き合うための道具です。
金光教がこれから薄れていくかどうかは、AIではなく、信奉者一人一人の生き方にかかっています。あなたが信心をとおして、人を大切にし、日常を丁寧に生き、おかげを分かち合っていく、その姿そのものが、金光教の「現在形の存在」です。AIが進歩する時代だからこそ、人が人として、神様と共に生きる姿は、ますます尊くなる、私はそう思います。
AI時代にあっても、難儀を抱えている人に寄り添い、人の助かりを祈り、神様の願いを伝えるという、本教の信心を土台とした営みを大切にさせていただきたく存じます。
総務部長 和田一真