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【巻頭言】ももとせを迎えて

大正10(1921)年2月22日、24日、26日の3日にわたって大教会所の落成祝祭が執り行われました。大教会所は立派な建物でしたが、参拝者全員が建物に入れるわけではなく、各教会からの代表者4名のみが大広前に入ることができ、その他の参拝者は境内から拝する形で執り行われました。

第2日目の2月24日、副斎主の三代金光様が、境内を埋め尽くす参拝者に次のようにごあいさつなさいました。「どなたにも、よくご参拝でありました。おめでとうございます。今回の祝祭を迎えたにつきましては、なんと申してよろしいか、皆様はいかがですか。私は実に感慨無量でありますが。氏子の喜びは神様のお喜びです。神様のお喜びは氏子の喜びであります。わたくしは、常に、自らがお礼と喜びとの、足りぬものであることを、まことに相済まぬことに、思うております。どうか、皆様とともに、このお祭りを機会として、いっそう信心を改めて、世の中の人の手本となる、真の信心をさせていただき、一人でも多く、困っている人を助けたいものであります」

その後、大正14年4月14日の夜、神饌殿から出火し、大教会所をはじめ、本殿、祖霊殿、大教殿、そして三代金光様のお住まいも焼失しました。三代金光様はその日も御取次の御用を変わらずなさり、お見舞いの方に対して、「物はみな焼けましたが、神様さえあれば心配ありません」とおっしゃいました。

金光様のお出ましとお退けが、皆の目に触れるようになったのは、この炎上の後、三代金光様が現在の金光様のお宅にお住まいを移されてからのことであり、4月15日から始められました。毎朝、管長室に設けられたお広前にお出ましになり、夕方にはお退けになられるようになりました。三代金光様がお通りになるお道筋は、毎朝掃き清められ、熊手できれいに筋が付けられており、これは当時中学生だった四代金光様が黙ってなさっておられたそうです。そのうちに、他の方も行うようになり、やがてお道筋がみんなのものとなっていきました。

金光様のお出まし、お退けが始まって、今年で100年を迎えました。五代金光様の教葬にご参拝くださった他教団へ答礼のごあいさつに伺った際、「金光教の教主様は、一番ご修行くださっておられるのですね」とのお言葉を頂戴しました。金光様の日夜のご祈念、御取次を頂き、三代金光様のお言葉 ──「世の中の人の手本となる、真の信心をさせていただき、一人でも多く、困っている人を助けたいものであります」── 少しでもそのお役に立たせていただきたく存じます。

総務部長 和田一真

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