その後、活動に賛同してくれた仲間3人と共に、広島のキリスト教会に滞在して活動を始めたシュモー氏だが、当時、広島は連合国最高司令官総司令部(GHQ)による原爆報道の厳しい規制下にあり、活動を行うことは容易ではなかった。だが、シュモー氏の熱意と行動に共感した日本人の学生やボランティアが次第に集まるようになり、数年の間に21軒もの家と集会所を建てた。
1949年、シュモー氏は最初に建てた家を「平和住宅」と命名し、庭には日本語で「祈平和」、 英語で 「THAT THERE MAY BE PEACE(平和が訪れますように)」と刻まれた石灯籠を建立した。
シュモー氏が建てた住宅群は、建築後30数年を経て老朽化が進んだことから徐々に解体されていき、最後に一軒の集会所だけが残った。
原爆の被害を受けた人々が集い、励まし合い、親交を深めていっただろう集会所を広島復興の象徴として残そうという動きが、やがて地元住民やシュモー氏の平和への思いを受け継いだ人々が中心となって生まれた。そして、2012年に広島平和記念資料館の附属展示施設「シュモーハウス」として生まれ変わったのだ。