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【輔教へのメッセージ】わけ(理由)

目次

輔教講師 田中 有希恵 先生(愛知・高蔵)

私が常々思っていることに「わけ(理由)」というものがあります。

日々の生活の中で起こってくることのわけ。そこに自分が関わることのわけ。さかのぼって言えば、こうして命を頂いたわけ。ここまで生かされてきた間にさまざまなことがあり、今に至っています。

私は、一信奉者の家に生まれ育ち、こんにち、本教の教師としてお取り立ていただいております。幼少の頃から親に連れられて教会へお参りし、少年少女会をはじめ、吉備舞やピアノなどのお稽古を教会でさせていただき、たくさんの御用にお使いいただきました。そこには、「お役に立つ人にお育ていただきますように」「信心が根付いていきますように」と親から願われている自分がおり、自らも常にお取次を頂いておりました。

子どもの頃、私たち家族には、毎年のように難儀なことが続きました。父の発病、愛犬の死、父の病死、私を含めた家族の病気、入院、事故……。「信心しているのにどうしてこんなに難儀なことが起こってくるのだろう。何がいけないのだろう。今度は何が起こってくるのだろう」という思いがどんどん出てきました。

私自身、高校2年生の時に急性気管支炎(肺炎)で2カ月ほど入院しました。それによって、一生懸命練習してきた吹奏楽のコンクールに出場できず、夏休みに計画していた楽しみも奪われました。「どうしてこんな目に遭わなきゃならないの?」と神様を恨んだこともありました。

そんな時、病院のベッドの上で横になりながら、1日4回、教会のご祈念の時間に合わせてご祈念をすることにしました。また、教会の先生はじめ信奉者の方々、家族のお祈り添えを頂き、み教え、おかげを頂かれたお話を聞かせていただくことで、私のかたくなな心が次第に和らいでいきました。

ところが、ある晩、寝ようとすると、自分が呼吸をするのをやめて、そのまま死んでしまうのではないか、という不安に襲われました。私は、ひたすら「金光様、金光様」とご祈念しました。その時にふっと私の中に、「生かされて生きる」という言葉が浮かんできたのです。

「自分で心臓はじめ、いろんな臓器を動かしているわけではない!自然に動いていること、眠らせていただけることも神様のお働きなのだ!自分で生きているのではない!生かされているんだ!自分でできることなど一つもない!」と気付かせていただきました。それからは、病気平癒だけでなく、「神様のお役に立たせてください」と願うようになりました。

「自分が、自分が」と力んだところで、自分の力だけで何ができるのか。どんな小さなことも神様のお働きの中で、神様に守っていただかかなければ何もできない身であることを思い知ったのです。

当時の私の周りには、毎年のように難儀なことが起こってきましたが、それらのことをとおして神様のお働きのありがたいことに気付かせていただき、その中で、人の思いの及ばない、ご都合お繰り合わせを頂き、立ち行きのおかげを蒙ってきました。

神様は、いつも寄り添ってくださり、私たち人間の幸せ、立ち行きを願ってくださっている。こんな難儀な者でも、こうして生かしてくださっている。さまざまな事柄をとおして教えてくださっているのです。

そんな私が今、教師となり、このように輔教講師として御用を頂いているのです。はじめは、「私のような者がなぜだろう?」と思いました。「いやいやそうじゃない。私に、神様がわざわざ」なのでしょう。「『難儀な中を一つ一つ立ち行くおかげを蒙ってきた、その内容をあらためて頂き直し、現していきなさい。そのようなお役に立たせていただきなさい』と願われているに違いない」と思ったのです。

これが今、私が御用をさせていただく「わけ」です。神様から私に与えてくださっている、願われている内容だと思っております。

私は、神様のご機感にかなうよう、至らないなりにもしっかりと取り組ませていただかなければならないと思っております。その神様の願い、思いにきちんと応えられるようお使いいただきたいと願っております。

輔教の皆さまも、お一人お一人、神様の願いがかけられて「輔教」という御用にお取り立ていただいています。元気な心で御用にお当たりくださいますよう、共々に神様にお使いいただいてまいりましょう。

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