8月25日、西近畿教務センターを会場に、「神様が喜ばれる信心を求めて」とのテーマで輔教集会を開催し、39人が参加した。
午前中は、それぞれが、「私が思う神様が喜ばれること」をメモ用紙に書き、司会が読み上げて班別懇談を行った。
午後からは、高橋浩一郎師(岡山・岡山・東中国教務センター所長)から「生きた神様におすがりして」と題して講話があった。
講師はまず、父親が岡山教会に後継に入ってから、こんにちまで印象に残っている出来事について、「教会では毎日共励会があり、子どもの頃はその輪に入って話を聞いていた。お結界で涙ながらにお届けをされていたご信者さんが、共励会では笑いながら話をされていたのが印象的で、夕食の時に、『信者さんがおかげを頂く様子を見るのが本当にありがたい。こんなありがたい仕事はない』と両親が言っていたのを今でも覚えている。私の中にある、教会の先生のイメージの根底には、そういう親の姿がある」と語った。
続けて、「父は教会家庭で育ってきたが、若い頃は神様を信じ切れず、疑いの心があったようだ。その理由は、祖父と兄が病にかかり、医師からも見放されるような状態になったからだ。日ごろお引き寄せを頂いていた教会でお取次を頂き、祖父は神様のおかげを受けて病気が全快した。しかし、その一方で兄は亡くなった。それをどう受け止めたらよいか分からず、本当に神様のお働きがあったのだろうか、という疑問がぬぐえなかったのだ。
また、当時の父は、胃腸が弱いことを悩んでいた。そのような中である時、玉水教会の湯川安太郎師の『おかげがあるかないか、というのはうろたえ心で、そういう思いではおかげは頂けない。絶対おかげが頂けるというふうに信じて心に閂(かんぬき)を閉めないといかん』という言葉に出合った。父は、『今まで自分は、おかげが頂けるかどうかというところで、ずっと迷っていたが、自分の心のありようがいかんのだ。絶対おかげが頂けると信じてそこから動かない、と自分の心を定めよう』と思った。それから、胃腸が軽くなり、調子が良くなって、ついに胃腸回復のおかげを頂いた。
父は、『絶対におかげが頂ける』と完全に心が定まってからおかげを頂いたのではなく、『そのように心を定めよう』と思った時点で、神様のおかげを受け始めている。大切なのは決心ができたかどうかではなく、『そうさせてもらおう』という心にならせてもらうことだと思う。また、そこから頂いたおかげを何度も味わい直すということが大切だと思う」と、父親の信心を頂きつつ、生きた神様におすがりする生き方を分かりやすく語った。
さらに、東中国教区で取り組んでいる「信心の整理シート」について、サンプルをもとに説明があった。
その後、講話を受けての班別懇談を行い、全体会で質疑応答を行って閉会した。