メインコンテンツにスキップナビゲーションに移動する
こちらは信奉者向けの情報サイトです。金光教について知りたい方は「金光教公式サイト」へ金光教公式サイト
メインコンテンツをスキップしてナビゲーションに

【輔教へのメッセージ】第1ヒントを大切に

目次

輔教講師 菊川 信生 先生 (熊本・江田)

現在私は南九州教務センターでのご用を頂いております。ある年、職員同士の食事や旅行などに用立てるため、月々一定額を積み立てていたそれまでの積立金が、各自へ返金されることになりました。その話を聞いた時、私の心に浮かんだのが、「これで妻に服を買ってやろう」でした。妻は自分の服を買うことなどめったになく、人から譲り受けたものばかりを着ている一方で、私のスーツやシャツには細かく気を使ってくれます。「これだけあれば、子供の入学式にも着ていけるような服が買えるだろう」とも思いました。

数日後、積立金を手にしたとたん、私の中に「いや待てよ」という思いが湧いたのです。「これだけあれば、パソコンの部品が買えるな。少し減らして渡そうか」「減らしたらいい服は買えないかな」という思いが交錯しながらも、とうとう半額を渡すことにしました。後ろめたい気持ちがあったのでしょう、「自分も頑張ったんだから。パソコンの性能が上がれば、色んなご用に使える」と勝手な理由を付けて自分を正当化していました。

減額したことは黙ったまま、「これで服を」とお金が入った封筒を渡しました。妻はとても驚きつつ喜びもしたのですが、「これで信生さんのスラックスを買ったら?」と言うのです。私は心を痛めながらも「俺のはいいから」と答え、その場を終わらせました。

ところがいつまでたっても服を買いに行く気配がありません。理由を聞くと、どこで買ったらいいか分からないという返事でした。そこで、叔母に相談するようにとアドバイスすると、早速電話をしていました。それでも一向に出かける様子がありません。しびれを切らした私は、とうとう妻を連れて百貨店へ行くことにしました。彼女が買い物をしている間、私は椅子に座って待っていました。ずいぶん時間がたって戻ってくると、「ちょっと見てもらえるかなぁ。いいのがあったんだけど…」と語尾を濁します。一緒に売り場に行くと、公式の場にも着ていけるような感じのいい服でした。

「これいいね」と言いつつ値札を見ると、渡した金額ではとても足りません。すると彼女は「足りない分は自分で出すから」と言います。私はその言葉と内緒で減額した後ろめたさに、「実は…」とすべてを白状しました。「でも、信生さんも買いたい物があるでしょう」「いいからいいから」という押し問答の末、不足分を財布から出して買って帰りました。

その夜、一部始終を話すと、父は大笑いしながら、「お前の最初の願いを神様はちゃんと受け取ってくださったんじゃな」と言い、母は「婆ちゃん(初代教会長・菊川みつ)は、『第一ヒントを大切に』って話してたもんね」と笑っていました。

祖母の言葉の「第一ヒントを大切に」とは、ふと思ったことは神様が思わせてくださったのであり、それを大切にしていけば間違いはないという意味です。「ふと思うは神心、思い返すは人心」という言葉もあります。私の場合、神様が思わせてくださったことを、人心、言い換えれば自分の欲で閉じ込めてしまっていたのです。

後日、妻がその服を着てある教会へ参拝したときに、叔母が一緒で、「あれね、例の服は?」と私をからかいながら、「よかったねぇ」ととても嬉しそうでした。

妻だけでなく叔母まで喜んでくれる姿を見ながら、「第一ヒントを大切に」という祖母の言葉が響きました。そしてややもすると我情我欲が先に立ってしまうわが身の危うさを思わされました。

私たちは困っている人を見ると、「手助けしたい」とふと思うことがあります。そのまま実行できればいいのですが、人目を気にしたり、自分の都合を優先したりすることがあります。教祖様のみ教えに、「広い世間には、鬼のような心を持っている者もないとは言えないが、人間であったら、気の毒な者を見たり難儀な者の話を聞けば、かわいそうになあ、何とかしてあげたらと思うものである。神の心は、このかわいいの一心である」、「寒い日であったが、お参りの途中で気の毒なおじいさんに会い、かわいそうに思って、着ていた物を脱いであげた。それからお参りすると、金光様が、『今日は結構なおかげを受けたなあ。不幸せな者を見て、真(しん)にかわいいという心からわが身を忘れて人を助ける、そのかわいいと思う心が神心である。その神心におかげがいただける。それが信心である』と仰せられた」とあります。

神様から頂いている人を思う心、「何とかしてあげたら」と思う心を、素直に言葉や行動に現し、人が助かるお役に立たせていただくことが、神様のお喜びにつながると思います。「神人あいよかけよの生活運動」の四行目、「神心となって 人を祈り 助け 導き」を実践することが、輔教を含めた私たち信奉者に求められているのではないでしょうか。

  • URLをコピーしました!
目次