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輔教講師 豊田 照子 先生 (広島・呉東)
ご用はお育てを頂くチャンス
私は両親から常々、「人から用事を頼まれたら、神様のご用と思ってさせていただきなさい。どうせさせていただくのなら、嫌々するのではなく、気持ちよくさせていただきなさい。そうでなければ、おかげにならない」と教えられてきました。これまでも事柄や問題が起こってくるたび、その言葉を思い出し、自分自身の姿勢を正してきました。
私は幼少の頃から、吉備舞のご用をさせていただいてきました。高校受験を控えた年末のこと、「春の本部大祭で奉納舞をさせていただきなさい」とのお話を師匠から頂きました。それまでも何度か本部でご用させていただいてきましたが、受験という時期でしたので、教会長である父にお届けもせず、お断りしました。
数日後、師匠から再度お話がありました。すぐにお断りするのも失礼かと思い、今度はお結界で父にお届けしました。「さすがに受験前なので、お断りしてもよいと言われるだろう」と思っていましたが、「ありがたいなあ。すぐにお受けしなさい」という言葉でした。「受験を控えて、お稽古も満足にできないと思いますが」と答えると、「それなら、なおのこと受けさせてもらいなさい」と言われました。そこまで言われて考え直し、お受けすることになりました。師匠も喜んでくださり、それからは受験勉強をしながら稽古に励みました。第一志望校に不合格
いよいよ受験発表の日がきました。まさかの第一志望校不合格でした。「神様が後ろ盾になってくださる」と変な自信を持っていた私は、「やはり受験前にご用は無理だったのだ」と、内心で父を責めました。
その夜、落ち込んでいた私に、幼い時から一緒に吉備舞を習っていたKさんから電話がありました。電話に出ると、「照子、第一志望校落ちたんだって?よかったー」という、びっくりするような一言。「実は私もだめだったの。でも、照子と同じ高校だと聞いて、うれしかった」と言われました。
釈然としないまま、父にお届けすると、「ありがたいねえ。あなたには、Kさんと一緒の高校に行くほうがよかったのかもしれない。神様の願いがそちらにあったのではないか。ありがたいと思って、吉備舞のご用をさせてもらいなさい」と言われました。母からも、「心を切り替えるのも自分次第。学校に通わせてもらえること、喜んでくれる友人がいることに、感謝の心を忘れてはいけません」と言われました。
神様のご用として吉備舞をさせていただくことと、第一志望校を不合格になったという出来事が私に必要だったのか、その意味に気づかされるのは、まだ何年も後のことでしたが、現在でも吉備舞の指導のご用にも使っていただき、Kさんをはじめ高校の友人たちとも、三十年以上に渡って強いきずなでつながっています。
九死一生の大けがに
二年前、輔教講師のご用を頂きました。その時も、お受けするかどうか悩み、教会長である夫や親教会長先生にお取次を頂き、あらためて考えさせられることになりました。
実はその二か月前、お広前がある二階の階段から転げ落ちるという事故に遭いました。幸い命に別状はありませんでしたが、左肘複雑骨折、靭帯断裂、左ほお骨陥没などのけがを負い、手術も八時間に及びました。教会長や子どもたちの祈り、親教会をはじめご縁のある方々のお祈りを頂き、手術後一週間で退院のおかげを頂きました。
退院後もギプスを着け、一人では何一つ満足にできない状態でした。そうしたなかでの輔教講師のお話でしたので、「とても無理だ」と思い、お断りするつもりでお取次を頂きました。一番間近で私の状態を見、忙しいご用の傍ら介護してくれた夫なので、許してくれるものと思っていましたが、返ってきた言葉は、「こんなありがたい話はない。受けさせてもらいなさい」という言葉でした。「命のぎりぎりのところでおかげを頂いたことを、どれだけお礼申せていますか。お礼とおわびの心を込めて、ご用をとおしてお育ていただきなさい」。またもご用から逃げようとする私に、神様からのお試しでした。
こうした出来事をとおして、ようやく、「おかげを頂きながら、何のご恩返しもできていない私に、神様が気づかせてくださろうとしている。こんな私でも命を助けてくださり、まだご用に使ってくださろうとしている」という思いにならされたのです。
それでも経験がなく、上手に話すこともできない私が、講師というご用はと二の足を踏みました。最後は親教会に参拝し、親先生にお取次を頂くと、「誰でも最初から上手な人はいません。うまく話そうとか、よい話をしようとか背伸びをせず、あなた自身のありのままの姿をお話しされたらいい。ご用に大きい小さいはなく、すべて神様の願われているご用です」とご理解くださいました。そのお言葉で、「そうだった。私が体験したこと、私にしかできないお話をさせていただこう」と気づき、お受けする決心ができました。
教主金光様の御取次を頂き、教会家族、親教会、ご縁ある方々のお祈りを頂き、体は順調に回復のおかげを頂きました。「痛いのが治ったのでありがたいのではない。いつもまめ(壮健)ながありがたいのぞ」とのみ教えを心がけ、日々の信心生活を歩ませていただき、真にもったいないことと御礼申し上げています。
縦横のつながりを頂く
先日、テレビで大学教授の方が、「人は人と接し、触れ合うことで育っていく」という話をされていました。よいことも悪いことも、うれしいことも悲しいことも、苦しいことも感動することも、すべて人と人との横のつながりのなかで成り立っています。その関係が時にうまくいかず、心の病に陥ったり、トラブルになったり、傷つけ憎しみ合うこともあります。
でも、私たちは、縦のつながり、つまり「神と人とのつながり」という関係性を頂いています。天地金乃神様と教祖生神金光大神様との「神人」の関係性のなかで、私どももそのご縁につながっていることに感謝し、その働きをもっと広げて、みんなが助かる世の中になるような働きかけをさせていただくことが、最大のご用です。これが「神も助かり」と仰せになる働きにもつながっていくのではないでしょうか。
私は、これまで何度となく神様からお育てを頂くチャンスを自ら棒に振ってきました。起こってくる事柄をもっと早く真剣に捉え、取り組み、お育てを頂けばよかったと、心から反省しています。このたびの大けがから、またもお気づけを頂いたことに感謝し、さらにお取次を願い頂き、神様からのサインを見落とすことのないようにアンテナを張り巡らせ、積極的にご用にお使いいただき、神様の願いを体現することに取り組ませていただこうと願っています。