メインコンテンツにスキップナビゲーションに移動する
こちらは信奉者向けの情報サイトです。金光教について知りたい方は「金光教公式サイト」へ金光教公式サイト
メインコンテンツをスキップしてナビゲーションに

【輔教へのメッセージ】いのちの設定─役柄に奉仕する─

目次

輔教講師 岩﨑 弥生 先生(静岡・静岡)

誰でも生まれながらにして、決まっていること、背負っているものがあるように思います。それをいのちの初期設定とするならば、私の初期設定は、静岡の紙屋の長女、そして祖父の代から信心している家庭に生まれるということでした。今にして思えば、神様から「信心しておかげを受けてくれよ」と願われ、生まれてきたのだと思えます。けれども、20代までの私は、そんな神様の願いを知らずに、私の人生なんだから私の思いどおり、私が決めたように自由に生きて当然と思っていました。

しかし、その生き方では、いのちの初期設定に込められた「信心しておかげを受けてくれよ」との神様の願いから外れてしまい、当然難儀なことに出遭っていきます。受験の失敗だったり、いろいろな難儀をとおして、神様から「信心して…」のメッセージが度々ありました。25歳を過ぎた頃、仕事の上、また自分の将来を見据えての大きな問題に突き当たりました。前にも進めない、後ろにも戻れない。どうしてよいか分からない状態に陥りました。もうお手上げです。

やっと私は「神様、助けて」と、素直に神様の前に額ずき、お結界から言われる先生の言葉を神様の言葉だと思って、おっしゃるとおりにしようと思いました。ようやく自分の物差しを放し、神様の物差しを持つようになれたのでした。つまり「神様、私の思いどおりにしてください」ではなく、「神様、私はどうしたらいいですか」と、神様にお伺いすることができたのです。お結界で教えていただいたことを、暮らしの中で神様に問いながら、「ああか、こうか」と取り組むうちに、道が開けていきました。そして、私が想像していた以上の思いがけないおかげを頂きました。

私のいのちの設定は、そこから大きく変わっていきました。金光教の教師にならせていただき、教会に嫁ぐことになりました。私にとってそれは、想像もしなかったことでしたが、神様がお養いくださるということは、もったいなくうれしいことでもありました。

それから年月を経て、私の「設定」が次々変化していきました。二人の子をもつ親にならせていただき、放送センターの御用、そして輔教講師の御用をさせていただくようになりました。自分の中身からすれば、そのような御用をとても勤められるとは思いません。教会長にお取次頂きますと、「四代金光様の『役柄に仕え奉仕する』というお言葉どおり、神様の願いを受け、役柄に仕えていけばいい。そうすることで、その御用をとおして自分が変わらせていただき、いつの間にか役柄にふさわしい人になっていくことが、御用をくださった神様の思いに応えることになるのでは」と言われました。お役を頂き、人にお話ししていくということは、これまでの自分の信心を振り返ることになりますし、あらためて「金光教」を勉強し直すことでもありました。

昨年の8月、2回目の輔教志願者講習会の講師の御用を終えました。自分なりに準備をし、やり遂げたという思いがしていました。昨年4月、教会の母が亡くなったのですが、その3年前から介護、御用、家事と、ずっと駆け足というか、全力疾走で毎日を送っている状態でしたので、その講師の御用が終わった時、一段落したような気持ちになっていました。それでも御用は次々ありますので、毎日忙しくお使いいただいていました。

すると半月ほどして、背中が痛くなり、どうにも治らず、手にしびれまで出てきたので病院で診察を受けると、頸椎の変形で神経にさわり、痛みが出ているとのことでした。そしてある朝、突然起き上がれなくなってしまいました。目は開いているのに身動きできない。頭を上げると激痛で起き上がれない。初めての経験でした。ただただ痛くて、どんな体勢をとっても痛く、涙がぽろぽろこぼれてきました。何もできず、すべての家事や私のしている御用を教会長にお願いすることになりました。やっとの思いでお広前に行き、自分の体が思いどおりにならない痛みと悔しさで泣きました。

これほど一生懸命やっているのにどうしてこのようなことになるのか。つらくてつらくて泣いてご神前で額ずいていました。「私が至らないから、こんなことになるのか。いやいや、こうやってすぐに原因と結果を結びつけようとするのは私の悪い癖。これまで起きてきた困ったことは、神様からの信心の改まりの催促と思えることだった。だからこのことも、きっと神様からのメッセージに違いない」。頭であれこれ考えるのをやめて、「神様、どうぞ私に神様の思いを分からせてください」と願いました。

そんな私に差し向けられたのは、痛い私をいろいろな形で支えてくださる教会長や家族、信者さんでした。その温かさに触れた時、「私は、これまで信者さんの痛みを本当に理解できていたのか。涙がぽろぽろ出てしまうほどの痛みを心から分かっていたのか。痛くて何もできないという信者さんに、『あれしかできない。これしかできない。と思うのではなく、あれもできた、これもできたでしょう』と分かったふうにみ教えを突き付けてきただけではなかったか」。そんな自分の姿を思い出しました。

私はただ申し訳なく、神様にお詫びしました。そういう心になることで「昨日はできなかったけど、今日はこれもできる、あれもできる」と、「しか」ではなく「も」と心から思えるようになっていきました。そしてこの「痛み」を、神様の温かいメッセージなんだと受け止めることができました。

輔教の皆さんも、それぞれに輔教になるまでの導きがあり、喜びや悲しみ、痛かったことや、苦しかったことなど、さまざまにあったことでしょう。ただ共通しているのは、輔教の皆さんは金光様からご任命を頂いているということです。これまでのそれぞれのいのちの設定から、輔教というお役の設定を頂いたということは、そのお役に仕え奉仕することであり、そして、その御用をとおして自分が変わらせていただき、いつの間にか役柄にふさわしい人になっていくということだと思うのです。

もしかしたら、「どうしてこんなことが」と思うことが起きてくるかもしれません。でもそれも、すべて神様からのメッセージ。「難はみかげ」です。元気な心で共に御用にお使いいただきたいですね。

  • URLをコピーしました!
目次