本年度の輔教志願者講習会を、8月23、24日、本部総合庁舎会議室で開催した。
輔教制度は平成四年に発足し、現在、540教会1811人が、輔教としてご用に当たっている。今年は、43教会75人が受講し、各講義をとおして輔教に求められる事柄を学び、班別懇談では参加者同士、これまでの取り組みやここからの願いについて語り合った。
このたびの修了者は、所定の手続きを経て、来る12月の布教功労者報徳祭並びに金光キクヨ姫五十年祭時に、教主金光様からご任命を受ける。
目次
教主金光様おことば(開会お届け時)
皆様、それぞれに願いを立てて、輔教志願者講習会によくお集まりになりました。
お互いにここまで信心を進めさせていただき、ご用にお使いいただいておりますことをありがたく思いますとともに、そのお礼の心を土台に、ここからいっそうに「人が人を助けるのが人間である」との教祖様のおぼしめしを頂いて、わが道の信心を現し、伝えて、世界の平和と人類の助かりのお役に立たせていただきたいと存じます。
どうぞよろしくお願いいたします
教務総長挨拶
「輔教は、本教の信心を伝えるため、進んで教会活動を担うとともに、教団活動に参画する」と規定されているが、「本教の信心を伝えるため」というのが第一義である。それは教師も同じであるが、教祖様が「信心をすればおかげになります」とおっしゃっている信心とは一体どういうことなのか。そのことについて、先輩の先生方がいろいろな言葉でお示しくださっている。
ある先師は、「和賀心というのは、和らぎ喜ぶ心であります。金光大神様のお道は、お礼と喜びによって開けた道であります。金光教は、喜ぶことによっておかげを頂ける道であります。これを金光教の信者は、しっかり頂いておかねばなりません」とおっしゃっている。「和賀心」と「お礼と喜びの心」をもって生活を進めさせていただくことが大切だということである。
人は、不平不足の生活は重ねても、お礼と喜びをもって生活するという稽古はできていない。思いどおりの勝手な生活をして、それで難儀に出遭えば、なぜこんな目に遭うのかと言うが、それはお礼と喜びの稽古が足りないからである。神様はそういう氏子の姿を見て、教祖様をお差し向けになり、生神金光大神取次をもってお礼と喜びの生活へ導かれ、そこからおかげの事実が生まれ、立ち行くようになることをお喜びになるのである。
なぜこのお道が生まれたのか。神様はなぜ教祖様に、「難儀な氏子を取次ぎ助けてやってくれ」とお頼みになられたのか。そこには深いおぼしめしがあり、私どもが容易に分からない大切なことがたくさん含まれている。お礼と喜びの生活ということについても、不平不足のない生活を進めるというのは容易なことではない。そこをしっかりと稽古させていただき、お取次を願い頂いて、おかげを受けていくことが、このお道なのである。
先ほどの先師は、お礼と喜びの生活ということで、とくに「腹を立てないことが大切」と言われている。例えば「忠臣蔵」の話で、浅野内匠頭が腹を立てて刃傷(にんじょう)を起こし、赤穂藩はお取りつぶしになって、家臣全員が俸禄(ほうろく)を失ってしまう。家全体を台無しにしてしまったのであり、この時、浅野内匠頭がお礼を土台にしていれば、そうはならなかったとのことである。
ところが自分自身を省みても、思いどおりにならない時には不平不足が出る。教団の基本方針の副題に「この道のおかげの自覚をもとに、お礼と喜びの生活をすすめ、『神人の道』を開く」とあるが、これはまさに、私ども一人ひとりがお礼と喜びの生活を進めるところから、共々に「神人の道」の実現を求めていこうと願ってのものである。
この後、講義と懇談をとおして、金光教の信心、教団、輔教の使命と役割について学んでいただき、ここからのご用に大切なところを頂いてほしい。
(大要)
講義内容
講義1「金光教の信心について」
ここから輔教としてご用を担うに当たり、あらためて本教の信心とは、神様に願われていることとはどのようなものかを確認した。
講師・河合真弓師(東京・中野)
講義2「教団の仕組みと働きについて」
教団の目的や諸活動、神願成就の拠点である教会の働き、そのなかで輔教として担う 役割について学んだ。
講師・菊川信生師(熊本・江田)
講義3「輔教の役割について」
講義1、講義2を踏まえて、輔教の意義や役割を確認するとともに、輔教が担うご用内容について学んだ。
講師・瀧山美明師(大阪・豊中)