今月15日には、本部広前において立教記念祭がお仕えになります。「あらためて、ご立教にかけられた親神様のおぼしめしと、これを謹んで受けられた教祖様のご信心に思いをいたし」とは、五代金光様の立教150年生神金光大神大祭時のおことばです。
親神様と教祖様が出会われて、そこからこのお道が始まったことを忘れないようにしたいと思わせていただきます。神前拝詞の「例なき神みかげ生まれ」との一節は、このことを言うのでしょうし、今私たちが頂いているおかげはこの「例なき神みかげ」からつながっているのです。
金光教学院は、明治27(1894)年に神道金光教会学問所の創設を起点とし、このお道の教師を養成する機関として発足しました。ご本部広前にほど近い場所、教祖様ご立教の地にあって、学院生は日々教主金光様の御取次を仰ぎ、本部広前の修行生としての生活を進めています。豊かな天地のお働きの中で、四季折々の寒暖、晴雨、草木の香り、鳥や虫たちの声に包まれ、「神に心を向ける」という信行目標を掲げて、終生道の御用にお使いいただくことを求めています。
豊かな天地の中にあって、「神に会おうと思えば、にわの口を外へ出て見よ。空が神、下が神」と教祖様が教えてくださっています。神に心を向けるとは、自分の心が神様に向かおうとすることでしょう。「神に会おうと思えば」とあるように、まず会おうと思う自分になっているかどうかが問われます。神様を求めて自分を省み、自分を見つめて神様を頂く、そうした生活は、御取次によって支えられています。
教主金光様は、「生活の中に、教祖様の信心を求め現していく稽古を」と教えてくださり、天地金乃神様のありがたいことを伝える御用にと願ってくださっています。このことから、神様に心を向けることも、神様に出会うことも、さらには神様の御用に使っていただくことも、全て教祖様の信心から始まっていると分からせていただけます。
冒頭の五代金光様のおことばは、「いよいよ神と人とあいよかけよで立ち行く『神人の道』が、一人ひとりの生活に現されてまいりますよう、共々に心を込めてお役に立たせていただきたいと願っております」と続きます。教祖様に始まる道の中で大切にされてきたものが、私たちの生き方になるということであり、隔てのない、揺るぎなき天地の願いを諸先輩方とも共有して、いっそう神様のお役に立つことが願われます。
全教の祈りの中で、ご本部をはじめ、各教区のセンターのご協力を頂きながら、学院の御用が進められています。中でも、12月の布教功労者報徳祭並びに金光平輝君一年祭に併せて、「学院見学会」を共に開催します。これを機に、たくさんの方々がお道の教師という尊い御用、生き方を志して入学を願われ、いずれ、共に各地の教師としてご立教のおぼしめしに沿う御用に立たせていただきたいと願っています。
金光教学院長 大代信治